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Essay:Dial M

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vol.36 SEPT.11  

Sep 2004

様々な偶然が重なって、ここに来てしまった。
いや、正確には偶然を利用して、と言うべきか。
意外にも、その日グラウンドゼロに集まった人々の数はそれほど多くなく、道路の混雑も見られない。警戒も厳重どころか、のんびりしたものだ。
まったくのところ、平均的なニューヨークの週末の光景に過ぎないのだ。
たった3年前の、あの事件の傷は、街のどこに行ってしまったのか。
ジュリアーニ前市長の活躍によって、きれいな街に変身してしまったNYは、いま平和という看板がよく似合う。
『タクシードライバー』の頃の猥雑な雰囲気は皆無だ。
むしろテロの現場は大いなる異物としてビル影にぽっかり存在している。
まるで「何かの間違いだ」と言わんばかりに。


8時40分。
最初の旅客機が衝突したその時間。
厳かに鐘が鳴り響き、その場の皆は黙祷した。
しばし、眼を伏せる。
しかし、何を祈れば良いというのか。
「平和を祈る」ことほど抽象的なことはない。
そもそも平和とは何なのだろう?
戦争や災害の状況の反語としての言葉に過ぎないのだろうか。
「戦争中ほど平和な時はなかった」と坂口安吾は第二次大戦を回想していた。
空襲さえなければ、大きな事件も小さな犯罪も少なかったらしい。
だからぼくの映画『白痴』の中でも、銃後の生活は奇妙にのんびりしたものなのだった。恐らくいまのアメリカ市民も、戦争を行っているという当事者としての意識は、 皆無とは言わないまでも、およそ日常とは関係を結んでいない。

「戦争は、ビジネスさ」
というのは、その『白痴』で惜しくも撮影されなかった場面の台詞である。
「戦ってみせているのは表面だけで、裏じゃ敵方と握手して、ニタニタ笑いながら札束を勘定してるのさ」
こんな台詞もあった。
「やめるきっかけが難しいよ。挙げた手をいつ振り下ろすか、だ」
現実も、そんなものなのだろうか。
戦争のきっかけは単純でも、その原因となると複雑だ。
ブッシュ批判は、ニューヨーカーの中でも様々な意見がある。
ぼくはブッシュをバカ呼ばわりしたけれど、実際ブッシュ個人が好きな人はあちらでも市民の中にそう多くはない。
しかし大統領選ということでいえば、対抗馬のケリーはさらに人気がない。
ある人はこう言った。「期待できるのはヒラリーだ。ブッシュは彼女が大統領になるまでの繋ぎと考えている」
もちろん問題は、ブッシュ個人ではなく、その背後なのだ。
そういう意味では、大統領は誰でもいい。ブッシュは単なるスポークスマンか、マスコット的な存在と言えるかもしれない。(だからバカでもいいのかもしれない)
たいていの市民は意外と冷静に、それを理解している。
アメリカの政治の背後。
そこに構築された組織が、驚異でもあり、また同時に魅力的でもあるのだ。
なぜなら、彼らは間違いなくアメリカに利益をもたらす。
戦争によって得た利潤によって、生活のための資源を供給してくれているのだ。
もちろん私腹を肥やすことも忘れてはいないだろうが、あんがい真剣にアメリカを支えて行こうという強い意思があるのかもしれない。
つまりそこには、「貧しいアメリカ」という壮大な裾野が存在している。
豊かさの背後に隠された貧しさだ。
それを如何にして支えていかねばならないか。
巨大化してしまった合衆国を維持しなければならない切実な使命がそこにある。
戦争という非常手段によって。
人々は表面的には戦争反対というけれど、理想的な社会より、生きる欲望のほうが勝るのだ。
日本はどうなのだろうか?

その夜、グラウンドゼロから空に伸びる、光の柱が二本建った。
まるで天まで届けとばかりに雲を突き抜けて、はるか上空へ消えていた。
下から見上げると、その柱の中に、きらきらと光る無数の影が踊る。
こんなに厳かで美しいものは見たことがない。
まるで犠牲者の魂が舞っているかのようだ。
いったい、なんだろう?
どのような、演出なのか?
人々は皆、首を傾げていた。
埃が宙に舞っているのか、空から銀紙を降らせているのか?
不思議なことに、それはひとかけらも地面に落ちては来ないのだ。
この世のものではないかのように。

それは、昆虫だった。
何万という昆虫、蝶や蛾たちが、光の柱の中に舞っていた。
強い光を羽に受けて、それはきらきらと輝いている。
はるか、空の彼方まで。
はじめて胸が張り裂けそうになった。
自然の凄まじい美しさと力強さに、気が遠くなりながら。

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